『The Gifts of the body』(邦題『体の贈り物』)は、とても好きな小説だ。
翻訳は(一方的に)敬愛している柴田元幸さん。
なので、日本語でも、ゆったり味わうことができる。
柴田さんは、シアトルでレベッカ・ブラウンにインタビューし、こういうハナシを引き出している(「ナイン・インタビュー 柴田元幸と9人の作家たち」に収録)。
「『体の贈り物』はキリスト教の修養書みたいに作ってあります。毎日これこれ読んで、それについて瞑想する、そんな感じですよね」(P193)
残念ながら、僕は仏教徒なので、この「キリスト教の修養書」というのが、まったく分からない。
こういうハナシも引き出している。
「あの本の登場人物のなかにも、程度はそれぞれ違うけれど、私が世話した人たちをモデルにしている人物もいます。いろんな人を組み合わせた作った人物もいるし、一から想像した人物もいるし、一から創造した人物もいるし、人から話を聞いた人物もいますけれど」(p191)
この発言は意外だった。この作品の語り手は、末期のエイズ患者のホームケア・サービスにたずさわっている。作者のレベッカ・ブラウン自身、ホームケア・ワーカーをやっていて、しかも描写と会話だけで登場人物の意思や思いが伝わってくる確かな書き方がされている。当然、すべて実体験がベースになっていると思っていた。
しかし、このはなしは、こう続いていく。
「ただ考えてみれば、私の書いたどの本も、そういう意味では同じなんです。シュールな、人物が崖から飛び降りたり、自分の頭に銃をつきつけたり、いろいろ奇怪なことをやる本でも、感情の次元では自伝的です。どの語り手も、何かを説き明かそうとしている私なのですから」(P191)
宗教も違い、フィクションであっても、それでも「いいもんだなぁ」と思えるのは、「何かを解き明かそうとしている私」のパスが僕とつながっているからだ。
たとえ昔の書籍(古典)でも、海外のものでも、パスさえ通じれば、心は通じるよね。