立花孝志さんについて、過激なユーチューバーの頃から知っていた。
エッジが効いていた。反面、キワモノだとも思っていた。
しかし、しだいに、良い意味で頭の良い人に思えてきて。いや、現在では「とうとう出て来た」感さえある。
略称NHK党のテレビの演説にホリエモンが加勢するそうだ。ぜひチェックしておたい。
両者とも並外れて頭が良いし、行動力もある。そう感じている人も多いのではないか。
ここで、違う視点で見てみたい。
立花さんもホリエモンを家庭を持っていない。お二人の事業の必要条件だと思っているけれど、それはさておき、他者とのつながりが多く、しかも太い。
言うまでもなく、これはSNSのフォロワーや「いいね」の数を言っていない。結果的に、その数が増えていることはあるけれど。
オッケー、ハナシを広げよう。
デカルトの「方法序説」では文脈から理性が感じられる。暖炉の前で「ハッ!」と思ったのは400年前だ。
もちろんデカルト以前にも理性的な人はいたし、日本でも、デカルトより、やや遅れて新井白石が活躍した。
ま、しかし便宜上、4世紀前から理性が広まっていったとしよう。啓蒙主義の始まりである。
啓蒙主義は科学や技術から、医療、そして社会や経済まで発展させた。
コトバに語弊があるかも知れないけれど、啓蒙主義はムダ死にを激変させた。内燃機関や電気を利用したアプリケーションにより、僕たちは、以前不可能だったことも出来るようになった。長期的にみれば社会はリベラルになっている(100年前の人からみれば、現在、右翼的な発言をしている人さえ、とてもリベラルだろう)
たしかに理性は進歩をもたらしたが、一方では、進歩とは相対的に内面の充実が得られなくなっていった。
たとえば孤立感・孤独感がある。SNSといった「つながるツール」があるものの、逆に僕たちは、つながりを感じにくくなっている。
その点、立花さんやホリエモンについて一考する価値があると思っている。
ちなみに、現在「喜びの書」(ダライ・ラマ/デズモンド・ツツ/ダグラス・エイブラムス)を読んでいる。良書だと思う。