古典を読む意味

さいきん古典を読むのも楽しいかも、とおもっている。

やや遠回りします。

考古学というのは、かなりの資料を収集し、その時代のアウトラインを描くらしい。

ともすると歴史についても同様のアプローチをしがちだが、残念ながら考古学に比べ、歴史に関する資料は乏しい。とりわけ鎌倉時代以前の資料は乏しいという。

そう思うと、教科書的な歴史は何だか心もとないし(たとえば重要な歴史が発行されれば、歴史のは変わるだろうし)何よりも僕たちは、ふつうに生活に追われている。歴史の構築など、ほど遠い。

ただ僕たちは、古典を読むことで時代の雰囲気に向き合える。たぶん。

個人的に、象徴的に、その時代の救う感じがあるとおもっている。

たとえば江戸時代なら、金融と経済の発展だろう。鎌倉時代なら仏教だ。

前者は、井原西鶴の「世間胸算用」や「日本永代蔵」や近松門左衛門の、いわゆる人情物で知れるし、後者なら「歎異抄」がある。鎌倉時代の雰囲気を知るうえで「方丈記」は必須だろう。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!