そもそも内容が分からない

吉本隆明の「最後の親鸞」を読了した。

ちなみに1か月くらい前には、同氏による宮澤賢治の本も読んでいる。

吉本さんの本では意味の追えない文によく出会う。

しかし再度その文を読み返してみると、それ以上、書きようのない書きっぷりが味わえる。

吉本さんの本に触れている最中、YouTubeで検索したこともあり、「吉本隆明」のタグが貼られた映像がおすすめに現れる。

吉本さんは(若いときヘルメットをかぶり、角棒を振り闘争していたような)ある世代の人たちにとってカリスマ的な存在のようだ。

(いまはジジィになった)その世代の人たちのYouTubeを立て続けにチェックした。

それが…その内容がまったく分からない、のである。不明な言葉さえある。

それはヘーゲルやマルクスを語る際に使われる言葉であることが、話の文脈から察することができた。

で、その話を聞いていて、吉本さんが文章を書きながら自分の考えを実証している一方、いわゆる吉本シンパの語る言葉の質の違いに気づいてしまった。

 

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!