「The Book of Joy」をほんの少しだけ読み、そのままにしておいた。
仏教について知りたくて、寄り道をして、先祖来の浄土真宗の本を読んでいた。
親鸞をはじめ浄土系の宗祖は「浄土三部経」をお手本にしているようだ。
「浄土三部教」については、三部のひとつ「仏説無量寿経」を岩波書店版で読んでみた。
前半はサンスクリット語から、後半は漢文からの訳文となっている。
日本には仏教はインドから中国を経てやって来ている。
なので日本のお経は重訳(サンスクリット語→漢文→日本語)となっている。
それだけに中村元さんによるサンスクリット語からの直訳は貴重だとおもう。
読後感としては、漢文訳よりサンスクリット語の直訳の方が好みである。
なんていうんだろう、サンスクリット版の冗長な雰囲気が、そても良いんですねぇ。
サンスクリット版を読みながら親鸞に思いを馳せると、親鸞は「本家」の「仏説無量寿経」のある部分をフォーカスし深耕していった印象を持つことができる。
たとえば親鸞には「無量寿経」の絢爛豪華な感じが削ぎ落とされている。
親鸞を語る上で避けられない「悪人正機説」は直接書かれていない。
ここで「直接書かれていない」という微妙な言い方をしたのは、そう思いながら読めば、そういう箇所もないことはないからである。
ところで「無量寿経」には、どこか新約聖書を思わせる雰囲気がある。他にも、そういう解説をした人はきっといると思うね。
オッケー、ここで本文の冒頭に戻ろう。「The Book of Joy」についてだ。本書はチベットの高僧ダライ・ラマとキリスト教の聖公会牧師デズモンド・ツツの対話がまとまられている。
ご本人どおしの相性もあるのかも知れないけれど、本書では、お二人が了解している部分が多々みられる。
これは(仏教が直接入ってきたチベット)仏教とキリスト教は近いところで生まれたから、という仮設を立ててみようか。