今までにない系統が姿を現した時、それは既存のものに似ているという説がある。
インターネットは1969年に発案され、しばらく一般の目に触れることはなかった。
しかし僕たちはウェッブにより、その存在を知るところになる。
圧倒的なシェアを誇るWindowsOSに最初からブラウザーが付属し販売された時期、1995年からである。
ブラウザーの表示は、新聞や雑誌といった印刷物に似ていた。バナー広告は新聞の突き出し広告を思わせた。
インターネットの系統として、それらしい姿を現したのはSNSによる。
ファイスブックの始まりは2004年、ツイッターは2006年。当初はPCで利用されていた。それなら以前から似たものはあった。日本で言えばミクシィなど。
しかし、その利用のされ方は2007年に発売されたiPhoneの登場により様変わりした。
スマホという手のひらに乗る、誰でも使いやすいパソコンは、既存のPCの普及を遥かに越えた。「誰でも、どこでも、いつでも」発信できるようになった。
それは文字だけでなく、Instagram(写真)、YouTube(動画)、TikTok(ショート動画)へと裾野を広げていった。
(僕も含めて)印刷メディアに長く携わってきた者にとって、ここで明示しないと分からないこともあるだろう。
面と向かって接する場合と違い、離れている場合、情報を発する者と情報の受け手の間には媒体が必要だ。たとえば新聞など。
そして、その媒体には、何人ものスタッフが存在する。
時にはライターによる取材や(取材のどの部分を取り上げるのかといった)記事の構成が求められる。
つまり、それだけバイアスがかかっている。
SNSでは、発信する側と受け手側は直接つながる。
ま、そのため裏が取れていないフェイクの情報が氾濫する問題がある。
結局、既存のメディアの情報が拡散され多数を占めてしまう場合もある。
会ったこともない人なのに、感情的な一方的な情報が面倒にもなる。
しかし一方では、仲介者のバイアスのない情報を直接届けることもできる。なにげないけれど、これは旧来にはない、とても大きな特徴だと思うわけ。革命とさえ言ってみたいくらい。