ロシアのウクライナ侵攻にネットなどで接して、2つのフィクションが思い浮かんだ。
一時期、ドフトエスキーを集中的に読んでいた。その中に「悪霊」がある。主人公のスタヴローギンの言葉である。
「社会の基礎の系統的な震撼、社会とその全根幹の系統的な解体のためです。すべての人々に自信を喪失させ、全体を混乱状態におとしこみ、このようにしてぐらつきだし、病的に無力化し、冷笑癖と不信心に取り付かれ、しかも同時になんらかの指導的思想や自己保存を際限もなく貪欲に求めている社会を、謀反の旗をかかげて一挙に手中に収めてしまうことです」江川卓訳(p625)
「自身の大地とのつながりを失った者は、自身の神も失う。つまり、自身の目的も失うという。何事も際限なく議論できるけれど、私の内部から流れ出たものは、なんらのおおらかさも、なんらの力ももたないたんなる否定のみでしかなかったのだ」同訳(p635)
コッポラーの「ゴッドファザー」を何回も観ている。
パート2で、マイケル・コルレオーネが取引のためキューバに行く。目的地に行く途中で、キューバの革命軍が車に乗り込み、自爆する場面がある。
マイケルは現地のボスたちとの飲食会で、その場面を引き合いに出し、「この革命は成功するかもしれない」という。
経済(お金)が優先する世相。これは現在だから、というわけもなく、昔からそうだったでしょう。
そして、それは所与条件と言っても良いけれど、一方、そうではない心象もあったりする。
人ひとりで言えば、刹那的な心象で、これが集団になると、また違う様相になって来るわけね。