漱石の「こころ」では、何年経っても先生の心の傷は癒えることはない。
後半は先生の手紙として綴られている。その中の幾重にもなっている心の様相は見事だと思う。
先生の唯一の救いは、主人公の「私」に、その手紙の内容の印象が引き継がれる可能性にある。
エゴに救いはないのか。
現在、村上春樹の「1Q84」を再読している。
新興宗教が背景のひとつとして描かれている。
(本作では別の新興宗教がモデルになっているけれど)旧統一教会の日々の報道が本作を手に取らせた遠因になっているのかも知れない。
読んでいるうちに「コロンブスの卵」と言いたいくらいの新しい発見をした。
それは、現在そして未来を生きることで過去が変えられるという視点だ。ただし、その際の現在そして未来は形而上的な世界だ。本作の1984年とは違うもうひとつの世界「1Q84」を指す。
ちなみにジョージ・オーウェルの「1984」ではビックブラザーにより過去の記憶がどんどん改ざんされていく。タイトルの「1Q84」はその点が共通している。
そもそも時間がひとつの方向に進んでいくという認識はニュートンとか、ま、そのへんの時代生まれた認識であって。いつしかそれが常識となり、明治以降日本でも認識されるようになったのかも知れない。
例えば江戸時代の上田秋成の「雨月物語」では、怨霊が現れ、主人公により過去の禊ぎ(みそぎ)が行われたりするわけで(この点、時間があれば「雨月物語も再読したい)