変化を熱望される時期にあって、それを妨げるのは、まず第一に(昨日、今日、明日..と同じことをしたい)人の習い性にある。
先日のブログでは、社会システムとして、行政とりわけ検察、そして報道機関の保守的な性(さが)について触れた。
違う言い方をすれば、検察や報道機関(にとって当たり前のこと)により、今までの革新の芽が摘まれて来たと思う。
ならば、検察・既存のメディアから解放されたポジションから革新の起爆が起こるかも知れない。
いま話題のガーシーをフォローしているのは、おおむね、この視点からだ。
いまガーシーは中東のドバイに居る。
そして既存のメディアではないYouTubeを最大限活用して来た。
現在は自身のチャンネルがバン(強制的に閉鎖)されている。
その対応策として、awsを利用して、自分たちでサーバーを立て、明日から日本の視聴者に向け、日本の視聴者に向け政財界の暴露情報を発信していく。
ガーシー参議院議員が所属するNHK党は、その発信に基づき、国政調査権を利用して質問していくようだ。
同じ土俵でやっていくことは、土俵のルールを守りやっていくことで、その土俵はなくならない。ここで言う土俵とうのは比喩だ。
オッケー、土俵を社会システムという言葉に変えてみようか。
既存の社会システムでやっていくことは、社会システムのルールを守りやっていくことなので、その社会システムはなくならない。
この当たり前のことを気づかせてくれたのはNHK党でもある。