それ、じつは世界レベルでしょ

「曽根崎心中」をいつか原文で読んでみたい。

好きな作家がいる。司馬遼太郎はそのひとりだ。

歴史小説より「この国のかたち」といった随筆が好みだ。

さいきんはユーチューブで司馬さんの語りを楽しむことができる。

随筆かユーチューブか記憶が定かでないけれど、「菜の花の沖」の主人公は「曽根崎心中」に節を付けて、そらで語れたそうである。浄瑠璃に限らず、江戸当時は声を出して文章を読むことが常識だったかもしれない。

近松門左衛門より時代が下るが、本居宣長の「うひやまぶみ」も、とても好きな一冊だ。

そんなに厚くもなく(翻訳をきょろきょろしながら)原文でも読める。

「曽根崎心中」「うひやまぶみ」そして、もうひとつとても好きな一冊がある。

それは鎌倉時代に書かれた「歎異抄」だ。

こちらも厚くなく、原文でも読むことが出来る。

本書は親鸞が直に書いたものではなく、弟子の唯円が親鸞から聞いたことばを文章にしたというのが定説になっている。

いちおう取材は仕事のひとつであって、長年たずさわって来た直感からすると、本書は、自分で勝手に書いたのではなく、聞いて書いた雰囲気が十分に感じられる。

ほんとうに、その文章はとても好きだ。個人的な感想だけではなく、本書のいくつかの解説を読んでも、名文と評価する一文に触れることができる。

ただし内容はとても深くて、何度読んでも近づくことはできない。

さいきんユーチューブやネットフリックスで世界中の映像がみれる。

そのおかげで、当時はアメリカを意識し、またアメリカに追いつくことを目標にしていた日本の音楽も、たとえばハッピーエンドなど、じつは世界レベルだっただろうという、認識を持つことが出来るようになった。

以前から福沢諭吉、そして親鸞は世界レベルの思想家だと、何となく思っていて。それが確信に近いものになてっている。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!