「宝島」や「広告批評」を読み始めたのは20歳を越えてから。
そこにはイキオイのある人の、ロングインタビューが毎号、掲載されていた。
思いつくままに書くと..
中沢新一、浅田彰、坂本龍一、糸井重里…
「広告批評」の表4(裏面)にはAGFの広告枠で、毎回(たぶん広告批評がリードするかたちで)人選が行われ、コンパクトに、しかも上手にまとめられていた。
ちなみに、個人的なことだけれど、OMNI(旺文社)の表4、PFUが広告主のインタビューの広告記事を立案・執筆するする際には、「広告批評」の表4の記事広告を大いに参考にした。
話を元に戻します。
「宝島」や「広告批評」を毎月楽しみにしていたのは、時期的に80年代ということになる。ただし80年代が終わる頃には、だいぶ、そのイキオイがなくなって来たけれど。
当時は、それが当たり前とさえ思っていたけれど、いま思うと、その空気感、つまり権限とお金を持っている企業から解放されているような感じは奇跡的(?)だったような気もする。
いい加減、年を取ってきたので、思いつくままに「あれ、どういうことだったんだろう」的なことがらを、このブログに書きなぐる機会が増えてくるかもしれない。
本を再読することも多くなってきた。
さきほど「巷談 コピー南北朝」(天野祐介)を読み終えた。
「60年代終わりに近づくと、商品間の差異がなくなってくる。で、ありもしない差異がなくなってくる」(136)とある。
本書では、その閉塞感を破ったのが石岡瑛子さんの「パルコ」の一連のポスターだと指摘されている。
「石岡さんは違うと言うかも知れないけれど、あのとき石岡さんは、スポンサーつきの作品を作ってやろうと思っていたんじゃないか、とぼくは見ている」(139)
で、石岡さんが焼き払った焼き野原に新しいタイプの人、糸井重里、仲畑貴志、川崎徹といった人が現れてきたと言うんだなぁ。
個人的には、天野さんのように長い文脈で見る知識さえないけれど、たまたま20歳の時、そういう雰囲気に出会った僕にとって、どうも、そちらの方が当たり前のような感じが、ズッと尾を引いていたのかもなぁ…