新しいことに対する日本の対応について

日本は失われた30年といわれている。30年が失われた。ほんらいやるべきことをやらず、30年が過ぎてしまった。

なぜ失われたのだろう?その要因はもとに戻せない糸のからまりほど、とらえきれない。

きょうはその要因のひとつについて触れたい。

30年前といえばインターネットが一部の研究者やギークだけでなく、一般に広く普及しだしたころだ。

アメリカではGAFAにイキオイがあるのに、日本にはそのようなビックテックは生まれていない。

その理由についても、これまた、からまった糸のようにキレイにはほぐれない。

ただしぼくがここで言いたいのは検察についてである。

たとえばライブドア事件があった。これは子会社の利益を親会社のライブドアに入れたとか、資産に組み入れたとか(記憶があいまいになっているけれど)ま、そんな感じだったとおもう。

このていどは申告の修正ですむはずで、ライブドアについては刑事事件になり、社長のホリエモンは(3年だったかな?)の実刑になった。

本文の主旨から外れるけれど、東芝の不正の方がケタ違いに大きいのに、その期間の東芝の社長は刑事告訴されていない。マスコミは「粉飾決算」ということばを使わず、「不正会計」という表記で通した。

Winnyを開発した金子勇さんは検察から訴訟され、けっきょく無罪になったけれど7年間争った。検察とのやり取りにそうとうエネルギーを割いたにちがいない。その期間、金子さんがピアツーピアの実装に没頭していたら、いまごろ日本はweb3の先端を行っていたかもしれないよね。

日本にはビットコインの世界一の取引所であるマウントゴックス社があった。その社長のマルク・カルプレスも逮捕され実刑となった。

そのほかにも漫画村事件など、いくつかの事件をあげることができる。

要は、インターネットを使って誰も見たことのないことをやっていた人たちが検挙されてしまい、インターネットのチャレンジ精神が萎縮してしまい、新しい才能が埋もれてしまったんだね。

検察の「分からないことは検挙しとけ」的なことは改善されないとおもう。

(深く勉強したことはないけれど)そもそも日本は法律の条文通りでなく、それを取り扱う官僚の裁量権が大きすぎるような気がする。検察で言えば、検挙と裁判両方の権利を有しているのはどうかとおもったりもする(証拠物を捏造することが出来ないこともない)。出頭の際に弁護士が同席できないし。また、これ公務員として違法だと思うけれど、検察をはじめ官僚しか知り得ないことが新聞の記事になっている。たとえば「ライブドア粉飾決算か」という見出しは、当局による恣意的な誘導だとおもうし。

これは岩盤だよね。

そう思うと、逆に新しいことは、グレーゾンにしておくのでなく、それに対応する法律が施行され、それを守るかたちで事業が展開される方が無難な気がする。

個人的には、web3はその文脈でとらえている。岸田政権には反対だけれど、ゆいいつweb3の動きだけは評価している。

気づいたことを、お気軽に。
公開まで、やや時間がかかりまーす!