「ポスト消費社会のゆくえ」を2回続けて読んだ。ページをめくるように、いわゆる斜め読みもよくするけれど、一方で、一冊の本を読み終え、すぐにまた読に返すこともある。
基本的に本は図書館で借りていて、こういうケースでは、手元にある本をメルカリで売って、そのポイントで気になる本を買ったりしている。
本書は、辻井喬と上野千鶴子両氏の対談である。辻井喬はペンネームで、本名は堤清二という。
堤清二と言えば、セゾングループのオーナーだった方である。
俺もけっこう年だからねぇ。なんとなく、いままでのことを総括しているわけ。
ま、いろいろある中で、特定の企業に突き当たる。
それは東芝であり、西武デパートである。
前者は、当グループと仕事の取引があった。
あれほど請求の際にいろいろな書類を提出しなければならなかったのに(お金の出入りには厳しかったのに)なぜ、マスコミを賑わしたような、巨額の不正取引を行っていたのだろう?
後者の西武デパートは「遠景」にある。「遠景」という意味は、直接、関わりがなかったというニュアンスだ。
僕が社会に出る年頃、糸井重里さんをはじめコピーライターがはやっていた。
僕はその影響を受けている。なにせ、コピーライターなのだから。
そして、そのことについて総括してみたいという気持ちがあったりもする。
「コピー年鑑」というものは一般的に読まれていない。「同業者しか読まない」といって良いだろう。
「コピー年鑑」を年代順にページをめくってみると、コピーライティングにイキオイがあった時期の特定できたりする。
それは1978、9年から、1984、5年だ。
ページをめくっていて、他に気づくことがある。それは。西武デパートのコピー全体のイキオイが、ほぼ軌を一にしていることだ。
コピーライティングにイキオイが感じられなくなったころ、西武デパートのコピーにもイキオイが感じられない。
これは「コピー年鑑」をめくって気付いた西武デパートと後先が逆になるけれど(以前から気になっていたけれど)僕のコピーライターを総括するには、西武デパートとりわけ堤清二の存在が僕と関係ありそうだと思っているわけ。
現状、うまくまとまらないけれど。書きっぱなしの文章でした。