「こころ」にも「多崎つくる」にもエゴが描かれている。
ただし前者は他者と深く関わることで、後者は関わらないことで自己を喪失している。
作者の漱石と村上春樹全体の作品の印象も同様と言って良いと思う。
そして、もうひとつ指摘しておこう。
「こころ」の「先生」は救いようがなく(ゆいいつの希望は「私」の送った手紙が「私」に印象を残すことかも知れない)、
それに対して「多崎つくる」は時間が流れ関係者と会うことになり、そのストーリィを通じて癒やされていく。
「多崎つくる」は「こころ」から約100年後の小説だ。
個人的な感想として、1世紀たち、なんだか進歩したかんじがする。