東京オリンピックのシンボルマークは、もうすぐ決まるようだねぇ。
いぜんのマーク選定のさいの騒ぎは、おさまったようで。ネット上では、もりあがったというか、なんというか。関心の中心は盗作うんぬんだった。
オリンピックのマークだけでなく、いぜん同アートディレクターが手がけた商業用のマークや、プレゼン用のフィリップまで、どうとか言われていたじゃない。
で、前者は自身がつくったけれど、後者は窓口になって、ほかに外注したというんだなぁ。
1964年の東京オリンピックのマークをつくった方のエッセイを読んだことがある。その、アートディレクターの親方的存在による文章には、アートディレクターは2つのタイプに分かれ旨が書かれていた。自分でデザインする人と、ディレクションする人(自分の意向を指示する人)といったぐあいに。話題になったアートディレクターは、両方やるタイプだったみたい。
で、ややこしくなったのは、ネット上で、同氏がディレクションしたデザインも他のものと似ているという指摘をうけた点だとおもう。
自分でデザインしたかどうかは本人が知っているよね。でもディレクションしたばあい、担当したデザイナーにたしかめてみて、たとえ「やっていない」といわれても、なんかモヤモヤ感がのこってしまうじゃない。これを不信感という。
ま、なにも、これはアートディレクションだけでなくって。ふえんしてみれば、もっと深いポイントかもしれないねぇ。