パナマ運河は、100年ほど前にできた。ひとそれぞれだけれど、ぼく個人としては、そんなにむかしではない感覚である。
そのむかし、アメリカの捕鯨船は、日本近海までクジラを捕獲しにやってきたんだ。
ペリーは日本に開国を迫ったと言われている。黒船、ドーンという感じじゃない ? でも、じっさいは、その前段として自国の捕鯨船が難破したときに、修理するための港の開放や、食料や薪の補給が余儀なくされていたんだぜ。捕鯨組合が政治に働きかけた感があるわけ。
ちなみに『白鯨』を書いたメルヴィルが捕鯨船の乗っていたのも、このころなんですねぇ…って、話をもどします。
パナマ運河のハナシである。
先に書いたとおり、パナマ運河の運行は、そんなに昔のことじゃあない。でも計画自体は、すでに16世紀に立案されていた。マラリアの被害が大きく、頓挫したようである。
手もとに『人類50万年の闘い マラリア全史』(ソニア・シャー/夏野徹也 訳)という本がある。抜粋しておこう。
「一五三四年に、スペイン人は運河を建設しようとパナマの調査を行ったが、この地峡が熱帯熱マラリアに汚染されてからは、パナマの熱病の多いジャングルを、現地のクナ族およびクナ族にかくまわれた逃亡奴隷の一団に明け渡さざるを得なかった。」