インターネットには、とうしょ一般的なアプリケーションがなかった。けれど、約30年前、ウェッブサイトがあらわれ、ネットふきゅうの糸口になった。
(せいかくなコトバは、おぼえていないけれど)アルビン・トフラーは「あたらしいものが出はじめたころは、旧来のものとその姿は似ている」といっている。
このことばを引用したのは、ウェッブサイトの見ばえは、やはり新聞や雑誌と似ているからだ。
ひとというのは、ついつい、あたらしいものが出てくると、いままでのものと比較して考えてしまう性(さが)があるとおもうけれど。
それにくわえて、そもそも一方的に情報をながす電波や紙と、データを交換する立て付けになっているネットでは系統がちがうにもかかわらず、
ネットと旧来の広告がいっしょくたんになってしまう遠因は、トフラーの指摘する、そのことばの中にあるとおもう。
ま、でもね、これから、いよいよ、ネットにしかないような広告的なことが多くなってくるとおもうんだなぁ。ポケモンGoなんて、その予兆じゃない。
あたらしいものは、まずは、やってみることだよね。