いままで印刷のうえに文章を書いてきた。なので、ネットというと、どうしても印刷とくらべて、かんがえてしまう。
うすうす気づいていて、さいきん確信めいたことがある。もともと印刷とネットは生まれも育ちもちがう別の系統である。
そうおもいはじめて、げんざい、プログラミングを勉強しはじめている。
プログラミングは、すこしでも、まちがうと動かなくなってしまう。文章を書いてきた身からすると、ゆうずうがきかない。やっかいなやつだ。
文章は、たとえ、かんちがいしていても書けてしまう。ちょっとこわいけれど、意識的にウソだって書けてしまう。
そうかんがえると、文章でなりたっているもので、アルゴリズムでやった方がよいとおもうものもある。たとえば法律系とか。
たとえば、こういうことである。
ユーチューブのばあい、その視聴数によって、お金がはいってくるらしい。ピコ太郎は、さぞ実入りがあっただろうって…あれ、そういうことを言いたいんじゃなかった。
2次使用について言いたいのであった。
ユーチューブには、ピコ太郎のアレンジした動画が世界中からアップロードされた。いわゆる、2次使用である。
コミケなど2次使用については、著作権という法律でかたられる。けれど、ユーチューブ(つまりグーグル)は、このもんだいを、アルゴリズムで解決してしまった。
ピコ太郎のアレンジかどうかは自動的に判断され、もしアレンジだったばあい、オリジナルのピコ太郎に何割かに実入りがはいるようになっている(らしい)。
法律は文章という、あいまいなものが基本に置かれている。なので解釈しだい、というところがある。アルゴリズムには、そういうところがない。きっぱりして、いいじゃないの。
もっとも、そうおもう反面、ゆうずうが利かないだけに、こわいかんじも、しなくはないけれど…