まいとし、コピーライターにより編集される「TCC年鑑」というものがある。
かのうな限り、順番にみてみると、コピーライティングにイキオイがついてゆくかんじが、おもしろい。
イキオイづきはじめた年は1976年(年鑑では「1977年度版」)である。このさい、そう断定してしまおう。
それ以前にも土屋耕一さんの書くコピーなど、きら星のようなものがあったけれど、全体的には、企業や商品をそのまま説明するような書き方だった。
それが、1976年以降、コピーライターの(とうじ、はやったであろう)感性による書きっぷりが目立ってゆく。一例をあげてみよう。
じぶん、新発見。
うまれた時から、人間て、ずいぶんと大きなエネ
ルギーを充電させているらしい。その、自分でも
ビックリするような(もしくはウットリするよう
な)力を、どうやって見つけだすのか、のばすの
か。これが、これからの課題みたいですネ。でき
るかぎり、あなたの可能性を見に手をかしたい。
西武も、いま、可能性を発見中。期待してください。
ね、いっけんして、どこのコピーかわからないでしょう。あ、わかるか。さいごに、ちゃんと西武って書いてあるもんな。ま、でも西武という2文字をかくしてしまえば、どこの会社どころか、なんの業種のコピーなのかさえ、わからない。
一方、コピーライティングのイキの良さが収束していったのも、わりとハッキリかんじとれる。こちらは1984年度版、つまり1983年だ。
そのあとは、コピーより、アイデアをデザインでみせる傾向になってゆく。アートディレクションに、いきおいが出てくる。とりわけ西武園の大貫卓也、ユニクロの佐藤可士和、そしてオリンピックのエンブレムで話題になった佐野研二郎など、博報堂系のアートディレクターが目立つようになる。
前置きがながくなってしまった。いわゆるコピーライターブームのその時期について調べてみたかったんだ。
そして、「コピー年鑑」により、個人的に、コピーライターブームを、いっそ、1976年から1983年の8年間と断定してみたわけである。
ちなみにコピーライターのイキオイが終わっても、その雰囲気が、うなぎ屋の前を通ったうなぎのにおいのように残ったのは、コピーライターの糸井さんと中畑さん、そして「広告批評」の天野祐吉さん3人の作った世界観のようなものが根強かったからだとおもっているわけで。
まだ書ききれなかったので、つづきは、あしたまた書くよ。たぶん。