すごしてきたことは、すごしてきたことだ。
すごしてきていないことは、すごしてきていない。なので、ふたしかだ。
その、ふたしかな時代を知るには、どうすればよいか。
たとえば、戦国時代ネ。もちろん、そのじだいを、ぼくは生きていない。
歴史の教科書を読んでみる。まず、そのようなことが、おもいうかぶ。いま話題の新書版「戦国時代」を読んでみるのもよい。
もうひとつ、これは、さいきん、ある本を読んで示唆されたのだけれど。そのじだいに書かれた本(つまり古典ネ)を読みこんでみる。そのなかに、時代がよみとれるかもしれない、という説がある。
以上、歴史について。
つぎに、一転、未来について。
こちらも、過去の歴史とおなじように、すごしてきていないので、ふたしかだ。
ひとは、きのう、きょう、あしたと同じことをやる習慣をもっているようにおもう。
あたらしいことを、やりたいひとも、もちろんいる。
でもネ、あたらしいことは、いままで経験したことがないので、「おい、おい、それは、たしかか」とツッコまれると自信がなくなってしまう。ひとにいわれなくても、じぶんに問いかける時点で、なんだか、こころもとない。
そのさいも、じぶんでかんがえてもダメである。やはり過去の歴史を知るのとおなじように、信頼できる書籍をみつけて(信頼したのは、じぶんだからダマされてもイイやという気分で)そのテキストを読みこんでみることはムダではないとおもう。すぐれたSFや、さいきん読んだ本でいえば、そうだなぁ「サピエンス全史」など、かなり刺激的。
子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。