きのうのブログで書いたとおり、「五十歩、百歩」とは、ほんらい、自重をうながすコトバのようである。
しかし、つうじょう、このコトバは文字どおり「五十歩も、百歩もおなじ」、つまり、やっても、やらなくても同じくらいに、とらえられているのではないすっかねぇ。ま、すくなくとも、オレは、そうでした。
じっさいに、ものごとは上達しないでしょう。そのとき「つい五十歩、百歩だわ」などと思ったり、ひとに言ったりしてきたけれど、このさい、それは、やめにしよう。
あたらしいコンセプトをみつけた。それは、先日読んだ本のなかにある。
あるひとが、つぎのような実験をおこなった。
練習量と上達の関係を知りたいとおもい、「みそさざい」という(おそらく難易度のたかい)折り紙を15万回、折りつづけ、折るのに要する時間の変化を記録しつづけた。
その結果、上達度は「べき乗数」にしたがっていることが分かった。
たとえば2倍上達するのに100回の練習が必要なら、2✕2=4倍上達するには、100✕100=10000回の練習が必要というわけである。
「五十歩、百歩」では、なにも変わらないけれど、「五十歩、二万五千歩なら」変化が生まれるかもしれない、というわけネ。