包丁は野菜が切れる。ただし手でも切れる。でも切れる野菜には限りがある。レタスくらいしか思いつかない。正確にいえば、切るというより引きちぎるだけれど。
包丁、ノコギリ、スコップ…道具というのは重宝する。なにせ、それをつかえば、作業は比べものにならないほどラクになる。あるいは、できなかったことが、できるばあいも多々ある。
ところで道具というと、手で握るものが、おもいうかぶ。それだけ道具には身体性がある、というと、なにやら、むつかしくなってしまって。
ちなみに、にんげんにとって親指は、とても有効なんだわ。ためしに、親指を手のひらに折って、4本指でモノをつかむのは、えらい不都合だ。親指がない哺乳類は、それだけ、やれることが、すくない。脳はそれにあわせて未発達という説もある。
道具は手をつかう。次いで足をつかう。こんなかんじかな。たてば自転車とかサ。
頭をつかうこともある。サッカーボールとか。でも、ふつう、頭をつかうということは、頭のなかをつかう、というニュアンスだろう。
そのさいの道具は、きゅうに抽象的になってしまう。数学とか、プログラムとか、複式簿記とか、ね。
で、ようやく本題に入ってきたわけだけれど、プログラムや複式簿記を道具と言うには、なんとなく抵抗がある。このばあい、ツールというコトバをつかう方が、まだよさそう。
念のため、Toolを英英辞典で引いてみた。
a piece of equipment or a skill that is useful for doing your jobだわ。
英語は、名詞にちゃんと抽象的な意味あいも含んでいるという。そのへん、日本語とちがうんだなぁ。