仕事をしているひとは、それが仕事だと思っているでしょう。でも、いままで確かに仕事だあったことも、現在では、ただの手間になっているかもしれない。
いままで手間も仕事だったのは、手間が相対化できなかったからだ。
オッケー。実例をあげてみよう。
取材にはテープ起こしという作業がある。かなり、たいへんである。取材した人が自分でやるケース、あるいはテープ起こしの外注に出すこともある。
これは、いままで、他に手立てがなかったからだ。
機械学習で音声を文字にできれば、テープ起こしは、ただの手間になってしまう。もう仕事ではない。
こういうかんじは、ほかの仕事にも多いんじゃないかしらん。
なにもテープ起こしといった単純なことだけでなく、専門的だと思われてきたこと、これまでの法律の事例を調べるとか、臨床を元にした医師の判断とか…も、ただの手間になってしまうかもしれないよね。