後期の漱石の小説は、西欧と日本の関係を暗示しているという説があるでしょう。
こういうのが、どうにも分からないんだなぁ。
小説は、小説どおりにしか読めないというか。
村上春樹の「多崎つくる」は、大好きな小説である。
本作の、さまざまな人の解説が編まれた本があったりする。
せんじつ、その本をペラペラ、めくっていたところ、ある解説では、
主人公のつくるが高校の仲間たちと絶縁された年が20歳のときの1995年、そしてメンター的な存在の沙羅にうながされ、当時のことを内省する年が36歳のときの2011年というんだなぁ。察しのよいみなさんならピンとくるでしょう。1995年は、神戸の震災やオウム事件があった年で、2011年は東日本大震災があった年である。
それを読みながら、へーと思ったけれど、じつは、つくるは時代の暗喩になっているという説には、どうにもこうにも分からない。
漱石自身、小説と、日本と西欧の関係を重ね合わすという意図があったろうか。村上春樹はどうか。ご存知の方がいらしたら、このブログに書き込んだり、メールをください。プリーズ。