コピーライターのDNAがゆいいつ引き継がれてゆく

コピーライターについて思うままに書いていく。諸先輩に対し、失礼なことも書いてしまうだろう。敬称も省略します。すみません。

GPTsに、ぼくのつくったGPTをアップした。

ChatGPTは、いちばんさいしょのプロンプトが大事だ。

ぼくの作ったGPTは、ネーミングやキャッチコピー、それからその企画意図を生成するよう指示している。

件案を書くと、それにおうじて、ネーミング、キャッチコピー、説明が生成される。

一般のひとは、この生成に十分だとおもうにちがいない。

ぼくとしては「まぁ、まぁ」だし、突き抜けた案が生成されることは、まずないと思っている。

蛇足になるけれど、慣れてくれば、うるさい人も「まぁ、まぁ」で十分になっていくし、コピーにかけていた手間や時間は別もことに振り向けられる可能性が高い。

長くなるので、ここでは書かないが、かつての写植文字がそうだった。

話を元に戻す。

失礼ながら、秋山晶や真木準っぽいキャッチコピーは、学習データやプロンプト次第では生成されるような直感を持っている。

一方、土屋耕一や糸井重里のキャッチコピーはGPTでは生成されないんじゃないか。

たとえばデパートのフレーズに対し、「不思議大好き」や「おいしい生活」とは書けない。

SNSにはじまり、ぼくは生成系AIにより、いよいよコピーライターという職業は無効になってしまうと思っている。

逝去された方も含めると、コピーライターの数は、ま、直感的に数万人は数えるだろう(数十万人ではないよね)

その中で、ただひとり糸井さんが残り、そして、それは「ほぼ日」として残っていくというのが、ぼくの見立てだ。