合理化にも慣れ、その後、新しいモードに

若い人は写植機を知らないだろう。

写植は「写真植字」の略である。文字面をジッと見てください。

「写真」とあるけれど、これは一般的な写真機(カメラ)とは違う。写す対象は「文字盤」である。文字盤から一つずつ文字を拾い並べ、それを写し現像する。

そして現像された文字列は、版下屋さん、あるいは写植屋さんに文字の大きさや種類を指定したデザイナーにより台紙に貼られる。次に、その台紙は印刷工場に送られ印刷に使われる。

アップル社のMacは当初、とても高価だった。マニュアルは英語だった。法人組織なら、かろうじて導入することができた。

それが、時代が下り、フリーランスのグラフィック・デザイナーにも手が届くようになった。

デザイナーはライターがワープロで書いた文章を受け取り、そのままデザインできるようになった。

これは従来、写植屋/版下屋さんがやっていた作業を、ライター/デザイナーで間に合ってしまうことを意味する。

仕事をいっしょにしていた写植屋さんは、その出来映えを横目で見ながら、文字のツメ(文字や行)の甘さを指摘していたりした。言われてみて、ぼくも、その通りだとおもった。

でも、それは最初のうち。

慣れてくると、そのうちMacの文字でも気にならなくなった。

前置きが長くなってしまいました。

ここ1年、ChatGPTとの1年だった。

ネットでは「すごい!」と盛んに言われているけれど、じっさいに使ってきた感想としては、けっこうポンコツである。

ぼくも、いちおう文章のプロなので、それが分かる。けれど日常的に文章に触れていない多くの人には、それは分からないとおもう。

ためしに、3行ていどでいいから文章を生成させ、原稿用紙に書き写してみてください。それぞれの文の内容が、けっこう重なっていることに気づくはずだ。

このばあい、前述した写植文字のように、そのうち慣れるというわけにはいかない..よね?

ただし、げんざいのChatGPT4が4.5になり、さらにChatGPT5になるとか、

げんざい日本の企業が、日本語を元に学習させた生成系AIが作られているので、改善されていくと個人的にはおもっている。

そして、そのレベルになり「これで良くね?」というふうになっていくだろう。

はじめは違和感があっても、そのうちに写植文字のように、人は慣れていくものだ。

そして合理化され余った人材や時間やお金は、パソコン→インターネットに主流が映っていたように、次のモードに使われていったりするんだよねぇ。