ここ数ヶ月、悩みはじめている。

はたしてインタビューという行為に意味があるのだろうか。

その悩ましさの核となるのは、こうである。

知りたいことがあったら、グーグルで検索するだろう。ただ、その検索結果にはアラいところが、まだある。というのは、検索結果が、ほんとうに知りたいウェブサイトにヒットするとは限らないからだ。しかし、先端をいくグーグルのディープラーニングにより、その精度が上がっていくのは時間の問題だろう。

そうなると、取材者が取材をして媒体を通じて広く知らせる意味は、あるのだろうか?

だれかについて知りたい。なにかを知りたい。そのさいには、ただグーグルで検索さえすれば、いいんじゃないか。

それに対する反論もあるだろう。こういうかんじだ。

検索結果はすでに過去の情報に対してであり、あたらしい情報はやはり求められる。

ま、それはそうだろう。けれど、ネット空間は膨大だ。

インタビューが掲載されたサイトが、たとえば検索結果の100万番目だったらどうだろう。一方、ツイッターのように時系列を優先させプラットフォームなら、ただ流れていくだけだ。

さらにいえば、企業のサイトは、だいたいGoogle  Analyticsといった分析ツールが採用されている。取材を掲載したサイトの閲覧の属性は掌握されていると言ってよい。要は、取材に対する反応は数値化してチェックできる。印刷のように、あてずっぽうでやっていた時代が、なつかしいなぁ。

ま、そういうことを、つらつら、かんがえながら、おもいながらしているうちに、ここ数日間、「インタビュー」(木村俊介)という書籍を読んでいる。悩みに対して、なにかが示唆されているようにおもうんだ。