いちじき環境について書いていた。

京都議定書が施行されていた時期だ。

つい最近では、京都議定書に次ぐ(2020年以降の地球温暖化対策を決めた)パリ協定が批准されている。

パリ協定では日本の存在感は薄い。

京都議定書は日本(京都)で批准されたこともあり、日本は張り切りすぎた。そして息切れしてしまった。そういう感想を持っている。

 

京都議定書について調べているうちに、ある違和感に気づいた。

たとえば、ある市町村が「バイオマス・タウン構想」を打ち出している。ほかの市町村も「バイオマス・タウン構想」だ。そして、そのほかも…というふうに、まるでノッペラボウのように同じネーミングに、同じ施策なのである。

この背景はなにかというと、おそらく政府の補助金政策に起因していると思う。

政府の旗印に対し、地方の行政機関が企画・実行すれば、政府から補助金がでる。そして(これも推測だけれど)プランの立案にあたって、政府からあらかじめお手本(その名称や主旨のひな形)が用意されているのではないか。

 

以上、行政のタテのラインについて触れた。そしてタテのラインは企業にもあるように思う。

政府が旗印を立てる。その旗印を経団連も立てる。すると、その旗は電気事業連合会といった各団体でも立てられる。その下の企業はその施策に対応する。この企業のタテのラインが環境問題にも働いたのである。

政府主導の経済対策は、うまく行かないという説がある。それでも城山三郎の「官僚たちの夏」に出てくるようなタフな官僚たちの立案した施策はうまくいった。それは、その時代、同じようにやることでうまくいく状況があったからだと思う。近年のように、いままでにないようなテーマに対し、、みんな同じようにやるということは、失敗したときの損失は大きい…よね?

行政主導に対し、たとえばインターネットがこれほど伸びたのは、(市場からお金を集めて投資する)市場に任せたからではないか。

投資も失敗するだろう。お金のハナシだから詐欺まがいのものも出てくるだろう。しかし投資は有限責任であり、失敗しても投資したお金がなくなるだけで、それ以上の責任は問われない。

補助金を出す政府も、受ける地方公共団体も失敗することはできない。だから地方公共団体は横並びなのである。そうすれば失敗しても責任の所在が分からない。

うやむやのまま、わかならいまま、税金に上乗せされているだろうけれどネ。