いぜん文京区の日本語のボランティアをしていた。

米中の2人をおしえた。

じっさいは、おしえたというのではなく、ただ日本語をしゃべる相手をさせていただいたという感じで、

たぶん、相手は、はなす内容がすべてわかるわけはなく、じぶんなりに分かるところをフックして、しゃべっていたとおもう。

これは、なにも、ちがう国のひとどうしでなく、日本人どおしでも、しらずしらず、そんなふうに、はなしているとおもうけど。

ま、それはさておき、中国の方とは、はなしていて伝わらないときなど、筆談でフォローできるケースがおおかった。

やりとりしていて、とてもスマートな印象だった。

たぶん、そのひとが初めての中国の知己であって。さいしょの印象というのは根づよいでしょう。

いらい、中国のひとに、スマートなイメージを持ったりしている。

ところで、ときどき、知人とはなしていると、中国の話題になることがある。

ネガティブなことをいうひとも、すくなくない。

せんじつ、はなした人も、そのようなイメージをもっていた。

さりげなく理由をきいてみると、「中国は、ドラえもんなど、ぱっくったキャラクターをつかっているから」みたいなハナシね〜

そのとき、とくに言わなかったけれど、ここでは書いてみよう。

「そもそもデザインや技術は境界をこえ、あたらしいことをパクりあい、世界全体は、進歩したんだぜ」

「著作権など言われるようになったのは、ほんの100年か、そのくらいだろ。それも西欧のコンセプトでしょう」云々…

漱石は日記を書いていた。こういう記述がある。

「支那人は日本人よりも遥かに名誉ある国民なり。ただ不幸にして目下不振の有様は沈倫(ちんりん)なり。心ある人は日本は今までどれほど支那に厄介になりしか」

漱石の時代、100年前は中国は停滞していでしょう。(時間があったら関連した本など読んでみたいが、たぶん)毛沢東の時代も停滞していた、

がしかし、げんざいは、世界のGNPの第2位は中国だし、おそらく、現在の関税をめぐる米中の、つばせりあいは、ここ数十年先のの覇権を占うものだろうよ。

最先端技術にしても、たとえばAIやゲノム編集など、両国は競っていたりする。

で、はなしは、あちこち、とんでしまうけれど、芥川龍之介の「杜子春」の冒頭の描写を引用する。

「何しろその頃洛陽といへば、天下に並ぶもののない、繁昌を極めた都ですから、往来にはまだしつきりなく、人や車が通つてゐました。門一ぱいに当つてゐる、油のやうな夕日の光の中
に、老人のかぶつた紗の帽子や、土耳古(トルコ)の女の金の耳環や、白馬に飾つた色糸の手綱が、絶えず流れて行く様子は、まるで画のやうな美しさです」

どうよ、世界中から唐の都に集う、きらびらかさが、みごとに描写されているじゃないの。

ま、もちろん、これは芥川が書いたフィクションではある。がしかし、日本から遣唐使、遣隋使を送ったのは事実でしょう。ウィキペディアでチェックしてみると、中国は群雄割據を繰り返す地域であることや、日本との関係も一筋ならでは行かなかったことも学べる。でも、すくなくとも、思想や技術の影響を受けてきたりしているでしょう。

たとえばAI関係は、ひたすら、シリコンバレーやシアトルにある企業の情報が流れてきている。それに比べ、杭州の企業の情報は少ない、とおもう。読み応えのある記事は、さいきんNewsPicsがとりあげた特集くらいじゃないか。さいきん、これ「バランスとれてないんじゃない?」 とおもったりしているわけよ。