インターネットは革新である。
(しろうとながら)まず技術が、おもしろい。
次。
ウェッブサイトやSNSにより、いままで正しいと思っていた既存のメディア、たとえば、その代表格である新聞でさえ、思惑により偏向されていたり、時には間違って報道されていることに気づけるようになった点。
問題もある。
とくにSNSの場合、ひとつの情報が拡散されているケースが目立つ。また裏付けされていないので、間違ったまま拡散されているケースも多い。
もうひとつ、仕事について。
古い世代の言い方かも知れないけれど「おたがいさま」「持ちつ持たれつ」という言葉は日本らしい良い言葉だと思う。
仕事でも、「おたがいさま」「持ちつ持たれる」でいたい。けれど、少なくとも外注する/外注される場合、そのようになっていない。
外注は、いぜんは協力会社と呼ばれ、文字通り「協力してくれる会社」だった。
松下幸之助が協力会社を家族のように接したのは、遠い昔であり、僕たちの世代でさえ、協力でなく外注といったニュアンスとなっていた。
ネットが普及してくると、条件が合えば、もはや顔を合わせることもなく、一回限りの仕事になってしまっている。これは発注側からすれば「使い捨て」だし、受注側は「使い捨てられている」である。しかし僕たちはそのことに、明示的に気づいてはいない。心の奥側に蓄積されるそれは、暴力的である、とさえ思う。
受注側は、そのような仕事をやめて、居心地のよい好きな仕事をやった方が良いけれど、
ま、そうはいかず、ほとんどの人は、その、知らず知らずの暴力的な環境に居続けるだろう。
このような環境の中、AIやweb3が当たり前のように利用されたら、どうなるだろう。
ネットでの発注/受注は、パソコンで出来る仕事だ。
案件の募集に対して、複数の応募がある。
もし、その案件がAIで間に合うようになったら、どうだろう?
今まで受注していたような仕事の値段は下落し、やがて、なくなっていくだろう。
web3の有力なアプリケーションDAOが普及すれば、任意の仕事はスマートコントラクトの中に、あらかじめプログラミンされ、従来のネット上での仕事の発注/受注は、変容せざるを得ない。
即ち、中長期的には、現在のネット上の仕事の発注/受注はなくなっていく、そういう見立てを持っている。