司馬遼太郎を好んで読んでいた。
現在、冬季オリンピックが行われている。
それはさておき「司馬マイブーム」は4年に1回ていど、やって来た。
しかし残念ながら、直近ではマイブームは到来していない。
司馬さんの小説は楽しく読みやすい。日本中の多くの人たちに読まれている。国民的作家とも言えそうだ。
それだけに気を付けた方が良いこともある。
それは、司馬さんの描くストーリィが史実であると。思われてしまう点である。
歴史の資料は時代がさかのぼるほど少なくなってゆく。
なので必然的に、遠い先代ほどストーリィは創作される領域が大きい。
一例をあげれば、数枚しか残っていない斎藤道三の資料をもとに、司馬さんは「国盗り物語」の斎藤道三を描きあげている。
これは何も司馬さんだけでなく、他の歴史小説も同様である。
ただ司馬さんは前述の通り、国民作家的なので、それだけに影響力が大きい。
ともすると、多くの人に司馬さんの描くストーリィが歴史だと思われがちである。
なのでストーリィを楽しむのはもちろん、
いわゆる「司馬史観」(司馬さんの好みは何だろう?)を念頭に置いてみるのも刺激的だ。
司馬さんは数理的な戦術を好んだ。
逆に、当時は有効であっても時代とともに形式でしかない戦術(慣習)を否定している。
またイデオロギーや、ひとりよがりの好みを嫌った。
司馬さんの影響により乃木希典の評価は割り引かれている、と言っても良さそうだ。
革命は一代では起こらないという見方もあったと思う。
思想が引き継がれ行動を起こす世代があり、また安定の基盤を作る世代がある。
図式的にいうなら、吉田松陰→高杉晋作→伊藤博文があげられる。
文学には引き継ぎがないように思う。
一方、数学や科学、そしてテクノロジーは引き継がれていく。
司馬さんは数理的な戦術を好んだと前述した。
一方で引き継ぎという視点も持っていらしたように思う。