「歎異抄」のことなど

テキストには力があるし、また、あると思っていたい。

これは事実ではなく、願いだ。

母が亡くなりしばらくして「歎異抄」を原文で読んでみた。

日本語を使って文章を書いたり、ずいぶん日本語を読んできたおかげで、がんばれば古典が読めたりもする。少なくとも「歎異抄」は読めた(もっとも吉本隆明の親鸞関係の書籍を併読したので、それが助けになっているかも知れない)

「歎異抄」は親鸞が著したものではなく、定説では、弟子の唯円が同氏から直接聞いた言葉をまとめたものとされている。

いずれにせよ、親鸞の真摯な感じが十分に伝わってくる。

「方丈記」は一流のジャーナルだろう。そこには事実が記録されていると思っている。

教科書で習う、いわゆる鎌倉と呼ばれる時代は、飢饉や災害が甚大な被害を及ぼしている。当時の新興仏教は、従来対象とされた貴族だけではなく、庶民の救いを願った。そのときの各種宗派は現在まで引き継がれている。それに応じて盤石なシステムが構築されて来たことが大きいと思うが、個人的には、それぞれの宗祖たちが著したテキストに力があったからと想像してみたい。


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公開まで、やや時間がかかりまーす!