中島さんのメルマガを購読している。
個人的なフトコロ具合からするとイタイ出費だったりもする。
けれど、それと同等か、あるいはそれ以上の価値を毎週得ることができる。
ここ1,2か月の中島さんの話題の中心はweb3となっている。
今週のメルマガでは「DAOは99.9%(だったかな?)最初のプログラムで決まる」旨の記述があった。なので「参加者の意見が集約されるという認識は過ちである」とも。
この記述は鋭い、と思う。だたし理解には自分なりの補助線が必要だ。
たしかにイーサリアム(ブロックチェーン)上にデプロイされたスマートコントラクトは変更できない。
その点では、たしかにDAOにより立ち上がったプロジェクトは最初のプログラミングに規定されている。
やや専門的になってしまった。
オッケー、ゲームを想像してみようか。
ゲームは自分で遊んでいるつもりでいても、じつは最初から、できることはゲームのプログラミングで規定されている。先述したことは、それと似ている。
はなしをDAOに戻す。
任意のDAOに参加しようと思う人は、可能なら、スマートコントラクトのソースコードを読んだ方が良い。その前提として主催者は GitHub等で読めるように、ソースコードはオープンソースとしなければならない。
ただし、中島さんのようなプロ中のプロ以外、ほぼほぼソースコードを読める人は居ないだろう。
そのため主催者はプロジェクトについて正直に、さらに分かりやすく語らなければならない、たっ
が、しかしこれは倫理や宗教観といった性善説に立っている。取引は違う視座が求められる、たぶん。
有力な候補は「ゲーム理論」だろう。
時間があれば、そういった類の書籍も読んでみたいけれど、ほぼ理解はできない予感がしている。
ちなみに、そちらの方面に詳しい人にとって、ビットコインのアーキテクチャーはとても魅力的のようだ。
そのアーキテクチャーの中には「ゲーム理論」に基づくインセンティブが上手に組み込まれているらしい。
中島さんの話に戻る。中島さんは「DAOは、ビットコインのように、それに参加する人にとってインセンティブが最初からプログラミングされていて、自動的にそのプラットフォームが維持されることが理想」(記憶より要約)と述べている。「参加者の意見が集約される」というのは一見、支持されそうだけれど、そういった任意性はDAOには求めてはいけないと。