時代は変化している。
親の世代なら一代、ひとつの環境でなんとか間に合っていた(ただし最晩年は年金や介護保険といった公助に支えられている)。
一方、これからの世代にとって、現在そして未来の環境がデフォルトになっている。
問題は、その間の年齢層にある。
岸田内閣はリカレント教育を旗印にしている。
リカレント教育とは、なんということはない、社会人の学び直しを言っているらしい。
個人的には、なにかとカタカナを使いたがる行政が気にくわない。まっすぐ伝わらない一因になっているんだぜ。
ぼくはコピーライターである。
先輩から多くのことを学んだ。
しかしそれは、紙(印刷)や、ぼくは、たずさわったことはないけれど電波(テレビ)といった媒体が所与になっていた。
キャリアの後半では、インターネットがめざましくなってゆく。
それでも最初のウェッブサイト(ホームページ)は、媒体を通じて伝える感じが残っていて、ある意味、紙媒体と同様だった。
しかしインターネットらしさが顕在化したSNSから、いよいよ事情が違ってきた。
媒体を必要とせず(正確に言えば、YoutubeやTwitterといったプラットフォームを通じてだけれど)、ぼくたちは、いよいよユーザー同士でつながる手段を手中にした。
そいうなると必然的に、旧来のコピーライターの存在理由はなくなってしまう。じっさい、苦境に追いやられている。
この大きな変化の中にあって、糸井重里さんは着実に歩んでいる、とおもう。
それについては長くなのので、ここでは書かない。
ちなみに、成功体験がまとめられた、いわゆる成功本というのがあるでしょう。
ま、それを読んだ人が成功するわけがないのは、成功体験はその人の体験であって、読んだ人が、そっくりそのまま体験することは出来ないからだ。そのことは指摘しておこう。
えーと何のハナシだったっけ?
コピーライターのハナシであった。
当たり前だけれど、コピーライターは工場のような設備を持っていない。
資産は、えんぴつと原稿用紙、それに僕のばあい、Macコンピュータ1台である。
と書いたところで、糸井さんは他にはない資産をいっぱい持っていたということに、ふと気づいた。
このハナシは、まだ続けられそうだけれど、とりあえず今日はここまで。