(1)明治期、いちばん人口の多い都道府県は新潟だった。
もう目にしなくなったけれど、かつて、ロング・インタビューをのせた雑誌がいくつもあった。
ロング・インタビューとは、なまえのとおり、インタビューに時間をさいたもので、ページ数は数十ページにおよぶ。
「プレイボーイ」のロングインタビューは充実していた。
そして、それをとりまとめた書籍もあった。そのなかには田中角栄のインタビューが掲載されていた。
田中角栄によると、明治でいちばん人口の多かった都道府県は、東京でなく新潟だったようだ。
なぜだろう?
それには、察するところがある。
まず化学肥料である。
日本で化学肥料が製造されるようになったのは渋沢栄一の尽力による。これによりコメや野菜の生産性はケタちがいによくなったとおもう。ただし明治のころには、残念ながら、まだ普及はしていなかっただろう。
そして、トラクターや稲刈り機、精米の機械もなかったとおもう。
要は、明治期の農業は生産性がとても低かったのである。それだけに、人力にたよらざるを得なかった。人出が必要だったのである。新潟に人口が多かったのは必然だったんじゃないか。
(2)あつまることについて
たとえば職人の例をあげよう。
職人は手をうごかした手間ちんで生活をしている。
ひとりではたらいて、ものをひとつ、つくる。
手づくり感はいいということは、さておき、生産性でいえば、ひとりが手をうごかしたぶんしか、ものはできない。
では、それでは、できないことをワークさせるには、どうすればよいか。
それは、集まることである。
かつてのコメつくりと言えば、田植えの時期には、夜明けから親戚があつまって田植えをした。牛の協力も得ていただろう。
工場だって、会社だって、学校だって、1か所にあつまることで、ワークしている。
(3)これからも1ヵ所にあるまるのか ?
でもサ、あつまることは、所与の条件だろうか。
ポイントはインターネットにある、とおもう。
リモートワーク、つまり、はなれた者どうしがネットを活用して仕事をする方法がいわれて久しいけれど、おもったように、すすんでいないだろう。
なぜだろう。
それは、たしかに、ツールだけみればネットでもいけそうである。
しかし、それをつうじた信頼関係がいまいち担保されていないかんじがあるのではないか。
かつての田植えのように親戚が集まる。職場や学校のように同僚やクラスメイトが毎日顔をあわせる。
そのような信頼感がネットでは醸成できない….
いや、ちがうな。それは、信頼感というより、むしろ安心感というべきだろう。
信頼感が醸成されないということは、(ちょっと、むつかしい言い方になるけれど)情報の非対称性にあるとおもう。
仕事を出す方と、仕事を受ける方では、どちらが情報を多く持っているだろう。
答え。
それは仕事を出す方である。
仕事を出す方は、(意識はしていないかもしれないけれど)多くの情報を出さない。じつは、それにより仕事を出す方は、利益にあずかれるわけネ。
このことは、仕事を受ける立場からするとフェアではないという感覚を、なんとなく与えることになる。
この図式をクリアにするのは、ブロックチェーンではないかと言いたいけれど、長くなるので、このへんで。