学生のころ、国語の授業で、どんなテキストを読んだのかしらん。
当時の教科書を取っておけば良かった、と思わなくもない。
もし友人が持っているのなら、借りて、ページをめくってみたい。
では、現在、高校生はどんなテキストを読んでいるのだろう。
こちらも時間が許せば、認定された各社の教科書をチェックしてみたい。
これは推測だけれど、漱石や鴎外の文章は今でも掲載されていそうだ。
僕が高校生だったのは今から40年以上の前のことだ。
たしかに漱石や鴎外の文章は良いもので、社会人になってから、僕はかなり読んでいる。
しかし一方で、「おいおい、まだ漱石・鴎外なのかよ」という思いも、あったりする。
時代に合わせてアップデートしくっちゃ。
そもそも国語の教科書には(たぶん)SF小説は選定されていないでしょう。
未来をイメージするにはSFは必須だ。
個人的に、これから世界はとても大きく変わっていくとおもう。
同じような世界が続くなら、古典に学ぶのも良いだろう。
でも、古典が前提ではなくなるくらい、世界が変わっていったらどうだろう。
古典を読む価値は少なくなっていくんじゃないか。
先日、イアン・バンクスのSF小説「フィアサムエンジン」を読了した。
大黒星雲が太陽系を飲み込む。国王とその取り巻きの評議委員会は、解決に最善を尽くさず、自分たちだけ助かれば良いと思っている。
この小説では登場人物がそれぞれのストーリィを繰り広げる。苦戦しながら読み進めた。
おかげで読了まで1か月以上かかった。
クリプトは現実とはパラレルの、電脳空間だろう。この世界では、本人がクリプトにいる人と話せる。逆にクリプトにいる人は本人の思っていることが分かる。
特別の権限があるのだろうか、王様は思うままに第三者の見ているもの、思っていることをハックできる。
このへんは大好きな「攻殻機動隊」が思い浮かぶ。
所々の、想像力を言葉で表現した文章は見事だと思う。宮沢賢治の詩、たとえば「青森挽歌」くらい卓越しているんじゃないか。原書(英語)を読む能力も労力もないけれど、翻訳でさえ、そのように感じる。これは長年、文章を読む続けてきた勘のようなものだ。